PixCell-Deer#52

 名和晃平は、セル(細胞・粒)で世界を認識するという独自の概念を軸に、ガラスや液体などのさまざまな素材や3Dスキャンなどの最新の技術を用い、彫刻の新たなあり方を追求しています。
 名和の代表作「PixCell」シリーズは、インターネットを介して集めた動物の剥製や楽器などの物体の表面を、透明の球体で覆った彫刻作品です。「PixCell」という言葉は、Pixel(画素)とCell(細胞、粒、器)を掛け合わせた造語です。
 私たちがパソコンや携帯などの画面で見ている画像は、細かいPixelで構成されています。剥製などの物体も透明の球体(セル)で覆われることにより、異なる物体でも同一の質感に変化し、セルのレンズの効果によって、物体の表面は拡大され歪曲されます。セルによって分割された画像は、鑑賞者の視点の移動に合わせて映像のように変化していきます。触覚的、視覚的なリアリティを持つ現物が、映像としてしか知覚できなくなります。
 名和の作品は、効率や利便性を重視することで身体感覚をそぎ落としてきた、情報社会の現状を彫刻作品として表現していますが、ネットを介した経験にますます傾いているコロナ禍の現在と奇しくもリンクしています。

撮影:小山田邦哉

 塩田千春は、生と死という人間の根源的な問題に向き合い、「存在とは何か、⽣きているということはどういう意味なのか」、「私たちは何を求めて、どこへ向かおうとしているのか」という問いを探求しています。塩田は、場所やものに宿る記憶といった不確かで見えないものの存在を糸で紡ぐ大規模なインスタレーションを中心に、立体や写真、映像など多様な手法を用いて制作しています。
 塩田は、十和田市に作品を設置するにあたり、十和田湖に着想を得ました。十和田湖は22万年前の火山活動によって形成されたと言われ、十和田は水を引いて切り開かれた場所です。展示空間全体を包み込んだ赤い糸は、時間と記憶を運ぶ船をこの場所に繋ぎとめています。この木製の細長い船は、十和田湖にあったものです。船は未知の場所へと導いていくものでもあり、海を渡る船は死と隣り合わせでもあると塩田は言います。生と死の気配が共存しているこの船は、塩田の問いと繋がっています。
赤い糸は、生命を表している色でもあり、人と人との縁をつなぐ糸でもあります。糸が何層にも編まれることで、一本の糸を目で捉えられなくなっています。《水の記憶》の赤い糸は、水やモヤのように、掴めない、捉えられないものを表現しています。

撮影:小山田邦哉
©2021 JASPAR, Tokyo and SHIOTA Chiharu

 大型作品が多いこの美術館の中で、建物の内外をさまよいながら見つけるのが山極満博の作品です。隙間のような空間に点在する作品は、どれも小さく、くすりと笑いを誘うユーモラスなものです。
 スイスの山奥に棲息する凍りついたマーモット、夜間に光り輝く氷の展示室、まるで寓話のように“つながるようでつながらない”いくつかの断片は、「見ること」や、その関係性を問いながら、私たちに疑問を投げかけているようです。人の動きや視線の動きに注目する山極は、平行移動ではなく垂直に動くエレベーター内にも、忘れ去られたかのように風船のオブジェを配しました。また、コンクリートの側溝により築かれた道路は通路の手前で途切れ、スケールや、ずれを想起させる不思議な作品です。
 山極は、平面や、日用品を使ったオブジェなど、さまざまなメディアを空間に点在させるようなインスタレーションを手がけてきました。観客はその断片をつなぎ合わせ、自由にひとつのストーリーをつむいで楽しむことができます。

撮影:小山田邦哉

 マリール・ノイデッカーは、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒに代表されるドイツロマン派の叙情的絵画を彷彿とする、壮大な自然や風景をモチーフにしたインスタレーションで知られています。「横浜トリエンナーレ2001」では、乳白色の液体で満たされた水槽に、巨大な山脈のジオラマが浮かぶ作品が話題を呼びました。
 十和田では、林立する木々の間から光が差し込む、幻想的な風景がつくりだされました。実際に森で樹木をかたどって制作した奥行き10メートル、幅6メートル、高さ5メートルのジオラマは、本当に森に迷い込んだのかと錯覚するほどのリアルさがあり、壮大な自然を目の当たりにした際に人が抱く、畏怖の念を喚起します。《闇というもの》というタイトルはシェイクスピアの文章からとられたフレーズです。土の苔むした様子など、ディテールヘのただならぬこだわりが作品をいっそう劇的に見せ、昼でも夜でも、朝でもない、時間の止まったような不思議な光景が、観る者をさらに森の奥へと心理的に誘います。自然を重要なテーマのひとつとする美術館のコンセプトと、まさに響き合う作品です。

撮影:岩崎マミ
Courtesy the artist and Galerie Barbara Thumm with the kind support of the Forestry Commission, Bedgebury Pinetum, England

 日の差す日中、ハンス・オプ・デ・ビークの部屋に入ると、外の景色とは対照的な夜の景色が目に入ってきます。そこは、パノラマの風景が見える、高架の道路脇レストランを模した、黒い舞台装置です。小さなテーブルのひとつにつくと、大きな窓ガラス越しに、オレンジ色の街灯に照らされた高速道路がどこまでも遠くへ向かっていく様を見ることができます。このだまし絵的な風景は、奥行き11メートル、幅10メートルの、彫刻的につくられたものです。道路の表面は9度の斜度で高くなっているため、観る人は遠近感を失い、地平線に向かって進んでいくような錯覚を覚えます(最初の街灯は高さ4メートルですが、最後のものは40センチです)。そうして、何キロメートルも景色が広がっているようなイリュージョンが生まれるのです。
 レストランの店内では、古いラジオから1970年代の不思議な旋律が流れています。細部に至るまで、すべてが黒一色で塗られ、ミステリアスかつ不気味な印象を与えます。部屋は、天井から吊るされたランプで微かに照らされているだけで、そこに入った人は、まるで閉店後のレストランを訪れたような気分にさせられます。レストランは、大きな傾斜した窓から見える堂々たる高速道路と同じくらいすべてが虚しく、人気がありません。

撮影:Hans Op de BEECK
Courtesy of Xavier Hufkens, Brussels

 この作品は高さ約10メートルの壁面をキャンバスに見立てて制作されました。タイトルの「夜露死苦」は「よろしく」の当て字で、ちょっと社会を斜めに見ている若者たちのあいさつにも使われています。描かれた少女の着ている服はところどころ破けています。着古したのか、喧嘩でもしたのか、わざと穴をあけてカッコよく着こなしているのかもしれません。足を組んでいるので、ポーズをとっているのでしょう。少女はどこか一点を見つめていますが、まっすぐ前ではなく、斜めの方向です。口元は笑っているようにも、怒りを抑えているようにも、悲しみを抱えているようにも見えます。少女の表情は、単純な線で描かれていますが、見ている人の心に合わせて複雑に変化していきます。
 奈良美智の描く幼い少女や動物の表情は、社会に馴らされることを拒んでいるかのような純粋さ、強さがあります。とくに顔の中で大きな比重をもつ目から放たれる視線は、社会の本質を見抜いているかのようです。その視線の強さを受け止め、「かわいさ」の内側になにがあるのかをつきとめようとするところから、作品との対話がはじまります。描かれている対象に、鑑賞者自身の多様な内面を重ね合わせたり、家族や親しい友達に通じるものが感じ取れます。だからこそ、奈良の作品は世界中の人々を魅了し続けているのです。

撮影:小山田邦哉

 官庁街通りは、戦前、旧陸軍軍馬補充部が設置されていたことから、「駒街道」という愛称で市民に親しまれています。この通りとつながる屋外イベント・スペースに展示された、チェ・ジョンファの花で覆われた馬のモニュメントは、そうした十和田市の馬とのかかわりや、通りを四季折々に彩る花々の存在、そして十和田市の未来の繁栄を象徴しています。高さ5.5メートルもの堂々たる体軀とカラフルな色彩は、白くミニマルな美術館の外観と鮮やかなコントラストをなしています。
 アート・デイレクションやインテリア・デザインを手がけるなど、さまざまな分野で国際的に活躍するチェは、日常の中から作品の着想を得ています。韓国文化と密接な関係があるモチーフやまちにあふれるイメージを用いながら、ダイナミックで非日常的な作品をつくりあげ、普段は気づかない、物事の別の側面をユーモラスに浮かび上がらせます。

撮影:小山田邦哉

 山本修路は、展示室に囲まれた小さな中庭に、官庁街通りと縁の深い「松」をテーマにした作品を制作しました。ゲート状に枝や岩がたわみ、岩と松と芝とが一体化するかのように、土を盛り上げて作庭し、特別な命を吹き込まれた箱庭の宇宙をつくりあげています。
 山本の作品には、大学在学中から携わってきた庭師の仕事が大きな影響を与えています。彼が生みだす松は、どれもみな不思議な形をしていますが、これは庭師の仕事の中で学んだ、自然物を変化させ、新たな造形を生みだす、日本の伝統的な造園様式に基づいています。とはいえ、それは実際の松ではなく、FRPに着色してつくった彫刻で、松の葉も記号として描かれています。伝統的な形式は守りつつ、自然と人工とを奇妙に混在させ、どこか擬人化して描くその表現は、作品を不可解でいっそう魅力的なものにしています。

撮影:岩崎マミ

 栗林隆は、ひとつの展示室に異なる2つの世界をつくりだしました。ドイツ語で湿地帯を意味する《ザンプランド》と名づけられたこの作品で作家が提示しているのは、2つの世界にある「境界面」です。彼は、壁裏、天井裏といった空間に、異空間を挿入し、「境界」をテーマとした作品をつくり続けてきました。物理的な国境などの境界だけでなく、われわれの頭の中にも、既成概念にしばられた見えない境界は存在します。物事の異なる側面を喚起させ、新しいものの見方を提示することが、彼の作品の大きな意図です。
 栗林は、ダイビングなど海のスポーツに精通していますが、そこで得た自然と一体となる経験が制作の重要な背景となっており、作品には水や生きた植物など、移り変わる自然の素材を多く用いています。栗林はこの美術館のために、今までの美術館の中にはなかった、生長し続ける空間をつくることを目指しました。それは「常識を覆し、変化し育ち続ける作品」であり、「季節によって景色を変え、見る人に違う体験と感動を与える作品」です。アザラシが覗き見る天井裏には、ほかでは体験できない、驚きに満ちた世界が広がっています。

撮影:岩崎マミ

 高さ9メートルの最も大きな展示室に、スゥ・ドーホーによる巨大な作品が展示されています。赤、オレンジ、そして透明のグラデーションが美しいこの作品は、数万体の樹脂製の人型彫刻が肩車をするように、天井から放射状に吊り下げられています。照明の光を浴びてシャンデリアのように輝く作品は、生命の華やかさを感じさせる一方で、つねに生と死は表裏一体の関係であり、長い時間の中で連綿と繰り返されていくという、輪廻転生的な考えを表現しています。通りに面した大きな開口部のあるこの展示室は、アートがまちに開かれていくという美術館のコンセプトを象徴的に表しています。
 ドーホーは膨大な数の小さなフィギュアがガラスの床板を支える作品や、ステンレス・スチールの像がたくさんの赤い糸をひっぱる作品など、途方もない数の同じピースを反復させた表現や、透ける布素材で個人的にかかわりのある建築物を再現したファブリック・アーキテクチャーといった、強烈なインパクトを放つ作風で、国際的に活躍するアーティストです。

撮影:小山田邦哉
Courtesy the Artist and Lehmann Maupin Gallery, New York and Hong Kong

 アートと建築の領域で揺れ動くトマス・サラセーノの継続的なプロジェクトである「エア-ポート-シティ」は、幻想的な空間を有しています。居住可能な構造でできたネットワークは、光とそのダイナミックさで、雲のように絶えず変化し続け、空中に漂う可能性を示唆しています。
 サラセーノは、国籍や合理性、所有権という共通する境界を超越しようとする社会革新的構想をもっています。それは表現しつくされた私たちの世界やカテゴリーが、いかに不安定なものであるかを明らかにしようとするものです。
 展示作品《オン・クラウズ》は、網目状のひもで連結したバルーンで構成された浮遊する空間です。居住可能な構造は、異なる視点から世界を探求することを観客に促すのです。

撮影:小山田邦哉

 最初の展示室に足を踏み入れた瞬間、観客はロン・ミュエクの巨大な彫刻作品に遭遇します。高さ4メートル近くある女性像は、見る者を圧倒する迫力で佇んでいます。憂いを含んだ風情はあまりにもリアルで、大きすぎるサイズとのずれが、奇妙な感覚を覚えさせます。窓に顔を向けた彼女は、通り過ぎるなにかを追いかけるように視線を走らせ、観客と目を合わすことはありません。けれど、刻々と移り変わる自然光を浴びた彼女は、見る角度によってさまざまな表情を見せ、やがて彼女の人生や人の生死について想像をめぐらすことになります。ただモノとしてある彫刻ではなく、その背後に多様なストーリーを喚起させる存在です。
 巨大な少年像《Boy》で世界中の注目を集めたミュエクは、肌、皺、透き通る血管、髪の毛の一本一本にいたるまで、人間の身体の微細な部分を克明に再現しながら、つねにスケールにおいて大胆な変化を加えた作品を発表してきました。初期の作品から、彼が制作しているのは架空の人物です。

撮影:小山田邦哉
Courtesy Anthony d’Offay, London

 マイケル・リンは、日常の中で伝統的に育まれた装飾を、伝統的ではない環境に展開する作品で知られる作家です。今回リンは十和田市現代美術館のために、高さ9メートルの吹き抜け空間をもつ休憩スペースに絵画作品を展開しました。けれど、それは壁に掛けられたものではなく、足下に広がっています。国際的に活躍するリンは、日常で使われるテキスタイルからとった伝統的な花模様を、壁や床に描いた絵画作品で知られています。ここでは、十和田市の伝統工芸である南部裂さき織おりから着想を得た花模様のコラージュを描きました。リンは、壁との間に少し隙間をつくることで、文脈的枠組みとしての建築を意識させ、作品を絨毯のように浮かび上がらせます。
 リンの作品は訪れた人が自分の家でくつろげるような親密な空間だと評されます。彼自身も、アートとは、親しみやすい環境の中で日々の生活とともに存在するもので、飾って眺める高尚なオブジェではないと考えます。リンの作品は、観客の存在によって完成する関係性のアートなのです。公共空間でのプロジェクトが多く、テニスコートやスケートボードランプ、ミュージアムのカフェといった場所に描かれる作品は、社会的な相互作用をもつアートだと位置づけられます。

撮影:小山田邦哉

 集落のようにそれぞれの展示棟が点在する十和田市現代美術館では、建物同士の間にできた屋外スペースにも、意外な形でアート作品が展示されています。
 森北伸は、まるでビルの谷間のような三角形のスリット状の空間に、2体の人物で構成した彫刻作品を設置しました。そのうちの一体は、建物の間で手足をつっぱるように広げ、滑稽な姿で空を飛んでいます。もう一方は、そうした様子をユーモラスな仕草で橋の上から眺め、彼をつかまえようとしているふうにも、また、嘲笑っているかのようにも見えます。上空を見上げなければ発見できないこの作品は、時々刻々と移り変わる空の表情と建物の白さを同時に取り込み、ダイナミックな世界を堪能させてくれます。作品は黒い小さな鉄板の断片を溶接でつなぎ合わせることで構成されており、光の強弱によってさまざまな表情を見せます。
 森北は、絵画や彫刻、インスタレーションなど多岐にわたる形態の作品を制作し、独特の不思議な世界へと観る人を導きます。

撮影:岩崎マミ

 ガラスの空中回廊を抜けると、ボッレ・セートレのインスタレーションに遭遇します。入口に近づくとセンサーが反応し、自動ドアがすっと開き、すべてが白で構成された空間が現れます。その白い空間に一歩足を踏み入れると背後で扉が閉まり、セートレの作品世界に入り込みます。角のない柔らかな形の部屋は、まるで宇宙船にいるように、重力を感じさせない奇妙な錯覚を観客にもたらします。作品は、白いアクリルのパネルや、巨大なミラーボールの反射光、オーロラを“再編集”した映像、それとともに流れてくる音楽などの要素で成り立っています。モニターにはブラウン管から発生するノイズを映像化して映し出しています。床には漠然となにかを暗示しているようなポーズの白毛で覆われた動物が現れます。
 この作品は、スタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』やアンドレイ・タルコフスキー監督の『惑星ソラリス』など、クラシックなSF映画からインスピレーションを受けています。セートレは彼の頭の中にある創造の世界を、物語の要素を伴う作品として表現してきました。セートレの作品世界に入ることは、彼の空想物語を通して「旅をすること」と捉えることもでき、その旅へと誘う仕掛けが空間の随所に散りばめられているのです。

撮影:岩崎マミ

 端正な白いキューブが林立する美術館を、日没から夜の9 時まで、髙橋匡太の光のアートが、まったく異なる風景に変貌させます。各壁面に直接照射された色とりどりの光は、刻一刻と変化し続け、この世のものとは思えない幻想的で美しい世界をつくりだします。この作品を構想するにあたって、髙橋は建築の立体的なボリュームではなく、構成する面に注目しました。いわば3Dの建築を分解して、2Dで再構築しているのです。重量感を感じさせない光の平面が時間とともに立ち現れる様は、光の建築とでも言える新たな表現となっています。照明が移り変わる際の制御に、水面のゆらぎのパターンを応用し、呼吸をするような有機的な感触を生みだしました。十和田の新たな夜景となったこの作品は、四季折々、あるいはイベントごとに色の変化が楽しめます。
 髙橋は、光や映像を用い、空間をドラマチックに変容させる作品を多数制作してきました。音楽やダンスなどとのコラボレーションも積極的に行い、日本のみならず海外でも精力的に活動をしています。

撮影:北村光隆

 アートと建築のコラボレーション、そして体験型であることが大きなテーマであるこの美術館では、建物に入った瞬間から、アートの体験がはじまります。来訪者が最初に通る、チケットカウンターなどのあるエントランスホールに、ジム・ランビーは、色とりどりのビニールテープで床一面を覆うインスタレーションを展開しました。窓枠やクロークのコーナーなど、部屋の各所の形状をなぞってリズミカルに構成されたストライプ模様は、表通りからもガラス越しに見られるよう意識され、絵画でも彫刻でもない、空間と一体化した異次元の世界をつくりだしています。
 ランビーは、色彩や素材を巧みにあやつり、空間を大胆かつ繊細に変容させる作品で知られています。

撮影:岩崎マミ
Courtesy of The Artist and The Modern Institute/Toby Webster Ltd, Glasgow

 高さ10メートル、幅20メートルのひときわ目立つ休憩スペースの白い外壁面に、イギリスを代表するアーティストのひとり、ポール・モリソンが、巨大な壁画を制作しました。
 神話に登場するリンゴの木をモチーフにした絵は、白と黒のモノクロームで描かれた、現代の風景画だと言えるでしょう。あえて色を使わないのは、鑑賞者に、それぞれ自由に色を想像して、作品にその色を投影してもらいたいという思いからです。
 マンガやアニメから、自然の事物、ルネサンスの木版画にいたるまで、さまざまなものからインスピレーションを得、モリソンはイメージを巧みにまとめて、独自のグラフィック作品をつくりあげます。作品それ自体はフィクションであっても、そのハイブリッドな風景は、結果的に周りの自然環境を反映しているとも言えます。

撮影:岩崎マミ
Courtesy Alison Jacques Gallery, London

 通りに面した前庭に、椿昇は突然変異的に巨大化した真っ赤なハキリアリの彫刻作品を展示しました。
 コスタリカの熱帯雨林に生息するハキリアリは、その攻撃的な風貌からは想像できませんが、森の木の葉を切り出し、菌床をつくってキノコを栽培し、それを食する農耕アリです。椿は、このハキリアリをロボットのように巨大化させることで、われわれには計り知れない多様性をもつ自然界の営みに目を向けさせると同時に、経済成長という強迫観念にしばられ、農業を危機に陥れた肥大化する現代の消費社会に警鐘を嗚らします。
 椿は、1980年代後半より、生物や有機体が突然変異的に膨張したようなカラフルな巨大彫刻をつくってきました。「横浜トリエンナーレ2001」では、全長55メートルの巨大なバッタのバルーンをホテルの壁面に出現させて、グローバリゼーション過信に警告を発するなど、近年は、社会に存在するさまざまな問題をポピュラーな昆虫の姿に寄生させ、メッセージ性の強い作品として発表しています。

撮影:小山田邦哉

 戦後のアート界において国内外を問わず最も重要なアーティストのひとりとして評価されるオノ・ヨーコ。その活動の幅は、従来の価値観にとらわれることなく、アート、音楽、パフォーマンス、映像と多岐にわたり、ジョン・レノンをはじめ、多くの人々に影響を与えてきました。
 十和田で、オノは代表作である《念願の木》を展示しています。これは1996年から各地で行ってきた平和を祈願するプロジェクトで、観客が自分の願いごとを白い短冊に書き、木に吊るしていくという参加型の作品です。願いごとを吊るす木には、オノにとって初期から重要な作品モチーフであり、青森の地域性も考慮したリンゴの木が選ばれました。短冊は、一年に一度オノのもとに届けられ、アイスランドのレイキャビクにつくられた世界平和を祈念するモニュメント《イマジン・ピース・タワー》の台座におさめられます。
 中庭全体を使ったインスタレーションには、さらに玉石を川に見立てた作品《三途の川》や、京都の古寺から寄贈された鐘を用いた、実際に鳴らすことのできる《平和の鐘》も展示されており、従来の作品をさらに深化させた、十和田ならではの作品となっています。

撮影:小山田邦哉
© Yoko ONO All Rights Reserved

 フェデリコ・エレーロは、約13メートルある3層吹き抜けの階段塔の内部と、そこから続く屋上をアート作品に変えました。日常の場所で作品が人の目に触れることを重視する彼は、パブリックな空間を使った絵画プロジェクトに多く取り組んできました。下絵はなく、即興的に描かれていく絵は、キャンバスのフレームや平面にとどまらず、壁、床、天井と空間全体へと飛び出していきます。その場所ごとに感じたことを色や形で表現するエレーロは、十和田でも、3週間かけてこの地で感じた印象を絵にしていきました。鮮やかな色と形がうごめく塔を昇っていくと、だんだんと青色が増殖し、たどり着いた屋上には、青空が反射するようなきれいなブルーが塗られています。展望台である屋上からは、十和田のまちなみや周囲の自然が見渡すことができ、これは「世界は空でつながっている」という作家のメッセージとも通じています。
 エレーロはコスタリカとニューヨークで建築と絵画を学びました。日本でも「2005年日本国際博覧会 愛・地球博」のアートプログラムに参加するなど、世界を舞台に活躍しています。

撮影:岩崎マミ

 六角形の台座を平行に倒したような形の《光の橋》は、トンネルのようにも見えながら、横になった人の身体と捉えることもできます。幾何学的な形の彫刻作品でありながら、開かれた通路のような機能を持ち、外側からだけでなく、内側からも作品を観察することができます。柔らかな音楽によって彫刻作品の内部に招かれる体験は、鑑賞者と作品の関係性を変化させ、私たちが持つ従来の彫刻のイメージを覆します。
 《光の橋》は、アナ・ラウラ・アラエズが、活動の初期から持つ「彫刻とは何か」という問いを含んでいます。きわめて芸術的なテーマであると同時に、伝統的な彫刻作品に深くかかわる男性的な概念である強さ、硬さ、荒々しい身体性など、社会のさまざまな場面で要求されるイメージに対する疑念でもあります。
 固定化された概念を解体する試みは、本来あるべき社会の姿を提唱しているようでもあります。

撮影:小山田邦哉

 ラファエル・ローゼンダールの作品は、インターネット空間の構造やモニタに表示されるブラウザのレイアウトから着想を得ています。それは、ウェブサイトで発表され、誰でもいつでも鑑賞(アクセス)することができます。
 「Haiku」シリーズは、ローゼンダールが日本の俳句に興味を持ち、制作を始めました。ローゼンダールは、俳句の色褪せない言葉の力や、作品が言葉(文字)であるがゆえに物質に拘束されず、自由に現実やウェブサイト上を行き交うことができる表現方法に惹かれました。「Haiku」は日本の伝統俳句のルールとは異なり、3行のフレーズで構成されています。本を開いたように言葉はレイアウトされ、5色ある背景の色は言葉の意味とは関係なくランダムに選ばれています。

What you have あなたが持っているもの
What you want あなたが欲しいもの
What you need あなたが必要なもの

 2018年に開催した企画展「ラファエル・ローゼンダール: ジェネロシティ 寛容さの美学」で展示された作品です。

※2021年5月15日現在:工事中のため、近くでの鑑賞はできません。あらかじめご了承ください。


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