鑑賞ガイド
・館内では他の方へご配慮のうえ、ゆっくりと作品鑑賞をお楽しみください。
・小さなお子さまは、同伴者の方と手をつないでご鑑賞ください。
・常設展は撮影は可能
・営利目的の撮影は禁止
・フラッシュや撮影補器具、音を伴う撮影は禁止
・作品に触れない
・展示室内での飲食は禁止
・鉛筆以外の筆記用具の仕様は禁止
・このwebページはご来館時に鑑賞ガイドとしての使用を想定した内容です。
※鑑賞ガイドデータのDLはページ下部
《ゾボップ》
ジム・ランビー
1964年 スコットランド生まれ
美術館エントランスの床一面を、あざやかな色彩の直線が幾何学的な構成で覆い尽くしています。一見プレーンな白い箱のようにも見える室内ですが、窓枠や床の送風口といった空間の外エッジ枠を縫うように始まるパターンは、色と幅の強弱で躍動感を生みながら中央へ向かって集まっていき、まるでリズムが鳴り響くかのように空間を変容させています。
《スタンディング・ウーマン》
ロン・ミュエク
1958年 オーストラリア生まれ
皮膚のしわやたるみ、透き通って見える血管、髪の毛の1本1本まで再現した克明なディテール。対照的に、高さ約4mという非現実的なスケールがその存在の異様さを際立たせます。ミュエクは、老いや孤独といった人間の普遍的なもろさが垣間見える瞬間を捉えた彫刻で知られています。角度によって厳しそうにも優しそうにも見える表情や虚空を見つめる静かなたたずまいが、見る人の共感や想像を促します。
《松其ノ三十二》
山本修路
1979年 東京都生まれ
小さな庭の大きな岩の上に1本の松の木があります。下方に大きく垂れた枝先に青葉を茂らせ、長く深く伸びた根は足元の岩にしがみついています。日本の伝統的な造園様式に基づいて表現されたこの作品は、厳しい自然環境を想定し、そこに根ざした松がこのような形状に至るまでの物語を想像しつくられました。
《あっちとこっちとそっち》
《ちいさなおとしもの》
《ひとつはふたつ》
《ぼくはきみになれない》
《なんにもない話》
山極満博
1969年 長野県生まれ
山極による作品《ちいさなおとしもの》《ひとつはふたつ》《ぼくはきみになれない》《なんにもない話》は、美術館の「隙間」に小さくひっそりと点在しています。
「展示室と展示室のあいだを歩きながら、見上げて、見下ろして、立ち止まって、引き返し、行ったり来たりしてみると、ある一時点という出会いがあるかもしれません。」
山極 満博
《水の記憶》
塩田千春
1972年 大阪府生まれ
十和田湖にあった一艘の古びた木船。それをつなぎ止めるかのように無数の赤い糸が、まわりに張り巡らされています。船は、未知の場所へ導くと同時に、水上を渡るという点で死と隣り合わせの存在であると塩田は言います。船、そして1本1本を捉えることができないほど何層にも編まれた糸からは、場所やものに宿る記憶や人の縁、死といった、私たちの「生」に連なる目には見えない不確かな存在を想起させられます。
《ロケーション (5)》
ハンス・オプ・デ・ベーク
1969年 ベルギー生まれ
暗闇の中、薄明かりに目を凝らすと見えてくるのは、漆黒のダイナーと、果てしなく続く高速道路の風景。不自然なほど人けのない夜の世界にオレンジ色の街灯がもの憂げに光り、流れ続ける古いラジオのくぐもった音が、かえって外界から隔絶された印象を与えます。実寸大で再現された虚構の店内空間から、錯視を利用しつくられた窓外のパノラマを眺める体験は、見る人の時間や距離、場所の感覚をかき乱します。
《オン・クラウズ (エア-ポート-シティ)》
トマス・サラセーノ
1973年 アルゼンチン生まれ
透明なバルーンの集合体が、網目状に張り巡らされた紐で空中につなぎ止められています。人が中に入ることを想定してつくられた本作は、国境や領土という概念から解放され、雲のように形を変えながら空に浮かぶという、サラセーノが構想する新たな都市のあり方を提示しています。同時に、互いにしっかりと結びつくバルーンの姿は、地球環境の多様性と相互作用性、そして自然界の生態系の様相を示唆しているようでもあります。
《念願の木》
《三途の川》
《平和の鐘》
オノ・ヨーコ
1933年 東京都生まれ
中庭に配置された3つの作品。玉石を川に見立てた《三途の川》がつなぐのは、京都の古寺で使用されていた釣り鐘を用いた《平和の鐘》と、1990年代からオノが世界の各地で行ってきたプロジェクト《念願の木》です。川をまたいで鐘をつき、願いを書いた短冊を木に吊るすよう観客を誘うことで、オノは、形のない人々の想いや行為自体を作品へと変えます。
フライングマン・アンド・ハンター
森北伸
1969年 愛知県生まれ
建物と建物の間に設置された人物をかたどった2体の彫刻。片方は、壁に手足をつっぱるように広げ、おそるおそる空を飛んでいるかのようです。もう一方は、その様子を橋の上から眺め、彼をつかまえようとしているのでしょうか。薄い紙をくしゃくしゃに丸めて広げたような形状や、空けられた無数の穴が空気や光を捉え、時刻や天候、角度によって異なる表情を見せてくれます。
《光の橋》
アナ・ラウラ・アラエズ
1964年 スペイン生まれ
無機質な素材でつくられた幾何学的な形状の彫刻。中に入ると、その力強い見た目とは対照的に、柔らかな青いネオンの光と浮遊感漂う音色が空間を満たしています。女性作家であるアラエズは、男性中心につくり上げられた伝統的な彫刻表現や、強さ、硬さなどの、いわゆる男らしいとされるイメージのあり方に疑問を投げかけてきました。強靭さとはかなさをあわせもつアラエズの作品は、いつ傷つき壊れるとも知れない弱さやもろさを含みもつ、私たちの本質的な姿を映し出すようです。
《ザンプランド》
栗林隆
1968年 長崎県生まれ
部屋の中には白で統一された無機質な家具が置かれ、天井には人の頭が入るくらいの穴がぽっかりと空いています。タイトルの《ザンプランド》は、ドイツ語で「湿地帯」という意味です。靴を脱ぎ、イスに上り、天井裏をのぞいてみてください。下からは想像もつかない景色が目の前に広がります。ふたつの世界を越境することで、一方からだけでは見つけられなかった「何か」にも出会うことができるかもしれません。
《コーズ・アンド・エフェクト》
ソ・ドホ
1962年 韓国生まれ
赤、オレンジ、半透明のグラデーションで配色された無数の人形が、かたぐるまで連なり、シャンデリアのように天井から吊られています。同じポーズでつながる人形の連続性は、世代から世代へと知識や記憶が連綿と受け継がれていることを表現しています。作品タイトルは「因果関係」を意味し、私たちの生が、他者の生との絶え間ない連鎖の中にあり、過去や未来とも呼応していることを想起させます。
《ウォール・ペインティング》
《ミラー》
フェデリコ・エレーロ
1978年 コスタリカ生まれ
屋上まで続く階段空間に、あざやかな色と形がひしめき重なり合っています。ところどころに目玉を思わせるような絵柄が描かれており、まるで生き物たちがこちらをうかがっているようにも感じられます。徐々に変化する色調を追って、市内の風景を望む屋上へ出ると、空と呼応するような水色が足もと一面に広がります。エレーロが十和田に滞在し、この地で感じた印象を交えながら即興的に描いた2つの作品です。
《闇というもの》
マリール・ノイデッカー
1965年 ドイツ生まれ
まるで一部を切り取ったかのように、型を取り精巧に現された森。小道や切り株などから人の痕跡が感じられますが、見上げるような高さにあるため全体を把握することはできません。木立を照らす舞台装置のような照明は、自然を見通そうと光を持ち込む人間の欲望を表す一方で、かえって闇の深さを強調するようでもあり、夜の静寂に包まれた森が喚起する畏敬の念を思い起こさせます。人間が風景や自然環境に対して抱く相反する感情を読み取ることができるでしょう。
《無題 / デッド・スノー・ワールド・システム》
ボッレ・セートレ
1967年 ノルウェー生まれ
自動ドアから部屋に足を踏み入れると、カーペット張りの床に角のない壁で囲まれた、白く柔らかな空間が広がります。モニターに映る赤青緑の光線と流れる電子音。床のミラーボールが光を乱反射する中、白毛の幻獣が、見えない何かを見つめるかのように横たわっています。古典的なSF映画『2001年宇宙の旅』などから着想を得た本作は、「いまここ」を離れ、過去に思い描かれた未来の姿が閉じ込められた、宙吊りの時空間へと人々を迷い込ませるかのようです。
《無題》
マイケル・リン
1964年 東京生まれ
カフェの床には、色とりどりの花柄を組み合わせた絵画が、じゅうたんのように広がっています。パッチワークのようなこの作品は、古布を裂いて新しい布を織る、十和田の伝統工芸「南部裂さき織おり」に着想を得ています。美術は高尚なものではなく、日常の中に存在するものと考えるリンにより、人々が交流し新たな関係を織りなす空間にふさわしい作品が生み出されました。
《オクリア》
ポール・モリソン
1966年 イギリス生まれ
版画や、切り絵を思わせるような太くはっきりとしたモノクロの線で描かれた、りんごの木のある牧歌的な風景。モリソンは、ルネサンスの木版画など写実的な図像からアニメーションまで、時代やジャンルの異なるさまざまな絵から、自然のモチーフをコンピューターに取り込み、縮尺や比率を編集したものを組み合わせて制作しています。こうしてつくり出された架空の風景は、親しえる絵柄で描かれていながら、どこか不穏さも感じさせます。
《夜露死苦ガール2012》
奈良美智
1959年青森県生まれ
外壁に描かれた、ひとりの子ども。斜めの方向を見つめる鋭い視線や結んだ口元は、ニヤリと笑っているようにも、思いを飲み込んでいるようにも見えます。ところどころ破れた服でだらりと腕を垂らし、足を組みながら立つ姿からは、脱力感や気だるさも感じられます。シンプルな線とデフォルメされた輪郭で描かれたこの子どもは、見る人によってさまざまに表情を変え、まるで私たちの内面や記憶、誰かの面影を浮かび上がらせる写し鏡のようでもあります。
《RR Haiku 061》
ラファエル・ローゼンダール
1980年 オランダ生まれ
所蔵:The Chain Museum
What you have あなたが持っているもの
What you want あなたが欲しいもの
What you need あなたが必要なもの
本の見開きページのように描かれたパステルカラーの色面に、3行の短い詩が並んでいます。
ローゼンダールは松尾芭蕉の俳句「古池や 蛙飛び込む 水の音」を読み、色あせない言葉の力に強く引かれたと言います。限られた文字数で豊かな情景を表現する日本の俳句をもとに「Haiku」シリーズとして制作された本作は、シンプルな言葉の連なりであるがゆえに、見る人それぞれのイメージを喚起させます。
《建物―ブエノスアイレス》
レアンドロ・エルリッヒ
1973年 アルゼンチン生まれ
床と水平に置かれたヨーロッパ風の建物のファサード(外観)。人々がその上で自由にポーズをとると、斜めに立ち上がる大きな鏡には、重力から解き放たれたような光景として映し出されます。手前のスペースからはその様子を客観的に見ることができ、ファサード上の人々は、その視線を感じながら「演じる」こととなります。複数の視点の存在が、作品の中に入り込む体験だけでなく、その場の人同士の見る/見られるといった相互関係をも生み出します。
《フラワー・ホース》
チェ・ジョンファ
1961年 韓国生まれ
戦前、旧陸軍軍馬補充部があった官庁街通りは、「駒街道」という愛称で市民に親しまれています。通りに面した広場には、色とりどりの花で覆われた1頭の馬が、今まさに走り出さんと力強く立ち上がっています。美術館を訪れた人々を迎えるウェルカムブーケでもある《フラワー・ホース》は、馬とともにあった十和田の歴史や平和への祈り、未来への希望をも象徴しているかのようです。
《アッタ》
椿昇
1953年 京都府⽣まれ
巨大化した虫型のロボットを思わせる真っ赤な体。地面を強くつかむように立つ長い足、鋭いあごに吊り上がった大きな目など、どこか攻撃的ないでたちでこちらを見つめています。永世中立国である中米のコスタリカに生息し「農耕をするアリ」とも呼ばれるハキリアリ(学名:Atta cephalotes)をモチーフとしたこの作品は、地球上の資源を奪い続け、大量消費を止めない人間に警告を与えているようでもあります。
《いろとりどりのかけら》
髙橋匡太
1970年 京都府生まれ
直方体の集まりで構成された美術館の建物を、さまざまな色で照らす光の作品。日中は白い立体として現れる建築が、夜間には、その外壁の形を際立たせる光によって、面の連なりとして再構成されます。十和田の豊かな自然から着想された季節ごとに異なる光のプログラムが、街を行き交う人々の夜を彩ります。
西沢立衛
1996年 神奈川県生まれ
まちに開かれた美術館をコンセプトに、建築家 西沢立衛によって設計されました。その最大の特徴は、それぞれの常設作品に合わせた大小異なる直方体の展示室が有機的に分散している点です。あえてばらばらの角度に配置された展示室は、建物に多面的なリズムを与え、決まった動線を持たず回遊を促す構造が、鑑賞者と作品との出会いを多様に演出しています。また、大きな窓やガラスの回廊によって、外にいながら作品や館内の動きを見ることができ、中からも通りを行き交う人々の姿や季節の移ろいを感じることができます。美術作品を保存・展示する建築でありながら、周囲の環境にも開かれているという透過性の高さが、美術館をゆるやかに十和田のまちと結びつけています。
《ファット・ハウス》
《ファット・カー》
エルヴィン・ヴルム
1954年 オーストリア生まれ
※《ファット・ハウス》内部公開は9:00~17:00
庭つきの赤い屋根の家と、真っ赤な車。ぶくぶくと膨らんだその容姿は、脂肪の増減によって体型が変わる私たちの身体を思わせます。社会的な成功や富の象徴でもある家や車を、どこか滑稽な姿かたちに変形させたこの作品は、資本主義や美醜についての既存の価値観をからかうようです。また、《ファット・ハウス》内に流れる映像では、家自身が「私は家?それともアート?」とつぶやきながら、アイデンティティについての問いを投げかけます。
《愛はとこしえ十和田でうたう》
草間彌生
1929年 長野県生まれ
増殖する黄色い水玉がアート広場の芝生に広がり、その上に色あざやかな水玉と網目模様のカボチャや女の子、犬、きのこの彫刻が8点、設置されています。草間は幼少期から幻聴や幻覚に悩まされ、10歳の頃より、水玉と網目模様をモチーフに絵を描きはじめました。押しつぶされそうになる精神を保ち、目の前の幻覚を乗り超えるために制作された草間の作品は、楽しさだけでなく、強烈な印象もあわせもちます。
《エヴェン・シェティア》
ジャウメ・プレンサ
1955年 スペイン生まれ
※日没から21:00まで点灯
広場中央の小高い丘の上に置かれた、丸く大きな岩。刻まれた「EVESHETIA」という文字は、ヘブライ語で「創造の石」を意味し、ユダヤ教において世界の創造が始まった地点とされています。日没になると、岩からは一筋の神秘的な光が、夜空へと高く、まっすぐに放たれます。その光の柱を見上げる時、この場所が、同じ空のもとに広がる世界や、広大な宇宙の一部としてあるのだということを、直感的に感じられるでしょう。
《ゴースト》
《アンノウン・マス》
インゲス・イデー
1992年結成・ドイツ
アーティストグループとして活動し、公共彫刻を数多く手がけるインゲス・イデーは、白い直方体が印象的な美術館の建築に対して、あえて流線型の2つの彫刻 ─広場を浮遊する《ゴースト》と、トイレ棟の上部から流れ落ちるようにして中をのぞき込む《アンノウン・マス》─を制作しました。建築のもつスマートな無機質さを、いたずらっぽくずらしていくかのような2体の存在が、広場のほかの作品とも呼応し、空間全体に一体感を与えています。
《ヒプノティック・チェンバー》
ニュー-テリトリーズ / R&Sie(n)
1993年設立・フランス
※内部公開は9:00~17:00
まるで粘菌が作り上げたかのような有機的な形状の空間に入ると、穏やかに語りかける声によって、心と体の緊張をほぐし、自己と周囲の環境との境界が溶け合う催眠(ヒプノティックな)状態へと誘われます。催眠術は、歴史的に強固な現実の社会をいっとき離れ、まだ実現されていない新しい生き方を想像する手段として用いられることがありました。建築事務所でありながら思索的な活動を行うニュー-テリトリーズ/ R&Sie(n)は、生物工学やロボット工学など多様な領域を横断しながら、科学、環境、人間の関係を問い続けています。
《ヨコドリ》
本山ひろ子
1975年 千葉県生まれ
駐車場の花壇に、ふっくらとした小さな鳥が43羽、並んでいます。くちばしを開け空を見上げるその姿は、仲間同士で話しをしているようにも、餌をついばもうとしているようにも見えます。本山は、その土地をテーマに架空の物語をつくり、そこに登場する動物を作品のモチーフとしています。命を吹き込んでいくかのように一体一体、金属を鋳型に流し込みつくられた鳥たちが、この場所で生き生きと暮らす様子に出会うことができます。
《space》
目[mé]
2013年結成・埼玉県
※建物の外からご覧いただく作品です
かつてスナックとして使われていた古びた建物。2階部分には、白い壁や天井、大きなガラスの開口部など、当館の建築を思わせる展示室がすっぽりとはまっています。外側から見てみると、元々あった窓や床は唐突に切り取られており、まるで古い建物のうえに新たな空間を貼りつけたかのようです。異なる用途や文脈を持つもの同士が、決して混ざり合うことなく併存するこの作品は、それぞれの特性を際立たせながら、同時に、両者の対比や緊張関係を浮き彫りにします。
《虫-A》
ライラ・ジュマ・A・ラシッド
1977年 アラブ首長国連邦生まれ
上下左右にカーブを描いたカラフルなベンチ。ベンチは、人々に座ってもらえるよう目立つ存在でなければならない一方、街や風景に溶け込むことも必要であるとラシッドは考えました。そこで、色はあざやかに、高さは低く、虫のようにやわらかな曲線を持った、目にも楽しく、人に寄り添うようなベンチが生まれました。
《はじまりの果実》
鈴木康広
1979年 静岡県生まれ
切り株の上に真っ赤なりんごが7つ。少しずつ大きさと角度を変えながら垂直に連なるその様子は、まるで落下の残像が立ち現れているかのようです。白い切り株にいくつも重なる輪は、木の年輪や水の波紋を思わせます。この切り株は、ここ、十和田市の形が模られています。りんごの落下や、広がる年輪や波紋といった自然の現象に、美術館を中心にアートの連鎖が起こっていく十和田のまちの姿を「見立て」ることができます。
《イン・フレークス》
マウントフジアーキテクツスタジオ
2004年設立・東京都
「冬には雪片が、春には桜の花びら、夏には木漏れ日が、秋には木の葉が、街中にはアートが、透明な空気の中で、いつも舞い散っている」。建築家ユニットである彼らが、十和田を訪れた時に抱いたそんな印象を、ステンレスのかけらが重なり合うようなベンチに表現しました。私たちは、ベンチに座りながら鏡のような座面に映り込む十和田の四季の断片を体験することができます。身近にある環境、日常の美しさをあらためて感じられる作品です。
《トゥエルヴ・レベル・ベンチ》
マイダー・ロペス
1975年 スペイン生まれ
色とりどりのタイルがランダムに並べられたベンチ。地面がさまざまな高さに盛り上がったような形をしています。高さの違いを利用すれば、座るだけではなく、新聞を広げテーブルのように使用したり、待ち合わせをしたりと、色々な目的に使うことができます。誰がどう使うかによってベンチのある空間そのものが変化するのです。周囲の人々や空間に働きかけ、さらに空間そのものを作品にしてしまう、そんなアートの見えない力を体験できる作品です。
《痕跡》
劉建華(リュウ・ジェンホァ)
1962年 中国生まれ
官庁街通りに置かれている2つの大きな枕には、まるでつい先ほどまで誰かがそこで寝ていたような痕跡が残っています。この枕はベンチとして腰を掛けることや、寝そべることができます。自分の部屋で行うのと同じように枕の上でくつろぎながら通りを眺めてみると、人々の行き交う開かれた空間と私的な空間とがおぼろげに交わり、いつもとは違う景色や時の流れを感じることができます。
《ポット》
近藤哲雄
1975年 愛媛県生まれ
商店街の通り沿いには、白くて丸い形をした22点のストリートファニチャーが並んでいます。これらは、ひと休みするためのベンチであると同時に、商店街の人たちが思い思いに花を生けるための花壇や花瓶でもあります。ショッピングを楽しむだけでなく、人々の交流の場として、商店街がますますにぎやかになっていくことを願う近藤の想いが込められています。
《商店街の雲》
日高恵理香
1976年 広島県生まれ
「商店街を歩いていたら、突然なにかがもくもくと立ち上がっていて、見るとくぼみがあり、そこにしばし体を投げだして休憩できるといいなと考えた」と日高は語ります。商店街の風景に溶け込むような透明感のあるベンチは、いつもの風景の中にぼんやり浮かび、あるようでないような、まるで空気のような存在感で新しい風景をつくり出しています。
写真クレジット
・Studio Hans Op de Beeck(《ロケーション (5)》)
・岩崎マミ(《フライングマン・アンド・ハンター》、《ザンプランド》)
・笹原清明(《ヒプノティック・チェンバー》)
・北村光隆(《いろとりどりのかけら》)
・小山田邦哉(上記以上全て)
鑑賞ガイドのDLはこちら